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萩原悠 高校時代のまとめ

僕の詳細な自己紹介を書き始めて早くも3年が経ちますが、

ようやく高校生編のまとめです!

いや〜ここまで長かった。

ではご覧下さいませ!


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萩原悠 高校生編のまとめ


まずはブログに書いた要所要所の大きな部分をまとめます。

タイトルをクリックでそれぞれのページにジャンプできますよ!



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萩原悠 高校生になる



一応多少の受験をして、公立の高校に入学しました。

決めては駅から近かったから、

中学との風紀に驚き、私服での通学という日々の始まりです。


バイト戦士になる



高校生のときから、結構色々バイトしてきました。

いろんなところでいろんなことしていろんな人と会って、

そこで学んだこととかをまとめたページです。

(高校卒業後のバイトも全部ここにまとめてます)

本格的に(?)バンドを始める



高校一年生のときから、一応プロ志向というバンドを始めるんです。

当時の僕らの”プロ志向”なんて全然笑っちゃうようなもんだったけど、

一応一生懸命ぶってたし、今の僕に活かされるようなこととかもいっぱいありました。


部活に入る



高校一年のとき、軽音部の見学に行って、なんやかんやあってそのときは入部しませんでした。

が、3年生になって軽音部、合唱部、演劇部に出入りするようになります。

そんなお話です。


自主制作CDを作り始めた



個人的にコソコソと録音して遊んだししていましたが、

ここでついにCDにまとめることになります。

もちろんCD-Rですし、ミックスとかマスタリングとかなんもわかってない状態なのでヒドいもんでしたが、

当時の18歳でここまでやってるガキはそんなにいなかったと思います。



その他こまごまと


ここまではブログに詳細を書いたページをダイジェストで紹介しましたが、

それ以外にもそこそこいろんな思い出があるのでまとめてみたいと思います。


最初は成績よかった。


内申点的にもそこそこ余裕があっての入学だったので、最初だけは成績よかったのです。

特に英語はね。

授業は全然聞いてなかったけどテストでもそれなりの点数は取れていました。

そんなある日の英語の授業の話で。今でも覚えてる印象的な小話があるので。

なんかテストが終わった次の授業あたりで、テストを返しながらみんなで答え合わせ、見直しをしてどこが間違っていたのかを確かめよう的な授業でした。

真ん中の列の一番後ろの席だった僕は先生の話も聞かずに、とある別のことに一生懸命でした。

周りのみんなも結構寝てたり漫画読んだりしてるし、まぁいいよね。

すると突然先生が大声で怒り出しました。

「お前ら!!こういうときにちゃんと先生の話聞いてないから英語が出来るようにならないんだ!!」

おうふ。びっくり。

「萩原を見てみろ!あいつ普段はだらしないけれどこういう授業のときにちゃんとしてるから点数が取れるんだ!!」

え。

クラス中の注目浴びるじゃん?

でも、横から、斜めから見た人にはわかるのよ、僕がめっちゃニッパーで弦切ってペグを巻いてるところが。

授業中にフライングVの弦交換してるところが。


(コイツです。スペックの詳細は→コチラでレビューしてます。)

堂々とやってたというよりは、ケースに入れたままギターを立てて、ケースの中でこっそり、でもネックもヘッドも完全に出てる状態なんだけど、

前の人の背中でちょうど先生からだけはギターが見えてない。

当然横から、斜めから見るクラスメイトには全部ギター見えてるわけじゃないですか。

どこからともなくみんなクスクス笑いだすし、先生はそれを見てまた怒るし……
そのときはヒヤヒヤしましたけど、今ではいい思い出です。

先生すまねぇ、フライングVは立てると結構高さあるから、自然とこっちも姿勢よくなっちゃうんだわ。


成績は落ちて行った


そんなこんなで、

校則や規律が厳しかった中学校とは打って変わって、

自由すぎる校風なこの高校では勉強は全然しなかったので、

みるみるうちに成績は落ちていきました。

それは当時の担任の先生にもはっきり言われまして、

萩原悠 昔は頭良かった説“はここで終了することになります。


やっぱり友達は多くはなかった


中学校ではそこそこいじめられてた僕ですが、

高校に行ってもそんなに友達は出来ませんでした。

やっぱり変な奴だということで、周りからは陰口言われたりもしてたし、

こっちは中学のときからそうだったので自分を嫌ってる人への嗅覚は育ってるので、

気にしないでいてくれる人だけとしか話もしませんでした。

いじめられる方に原因がある“というのを実感しましたねww

後輩が仲良くしてくれた


性格悪い奴あるある“で、

同年代の友達がいない

って説はかなり濃厚だと思ってます。

だって年上は

「まぁガキだし……」

と諦めてくれるし、

年下は

「先輩だからしょうがない……」

と気を使ってくれます。

そんな感じで、軽音楽同好会の後輩たちが仲良くしてくれました。

休みの日に遊びに行ったり(同学年でそんなん一度もなかったかも)、

お互い趣味の音楽を共有したり。

ここで後輩の女の子FさんからBUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONを教わってから、

僕の音楽感は大きく変わったと言えます。


BUMP OF CHICKEN


高校のハマってたのを今でも覚えているのって、
  • BUMP OF CHICKEN
  • ASIAN KUNG-FU GENERATION
  • dir en grey(当時は小文字)
  • SEX MACHINEGUNS
  • GO!GO!7188
  • Janne Da Arc
  • 東京事変
あたりだけれど、

特にBUMP OF CHICKENとの出会いは大きかったなぁ。

それまで歌詞ってもうちょっと普遍的なものとか、大雑把というか抽象的というか、

説明が足りないくらいがいいと思っていたので、

こんなにわかりやすく物語にしちゃっていいんだとびっくりしました。

それくらい大きな影響を僕に……というより国民に及ぼしたはずです。

この時代にメンヘラな若者を多数生み出したのは藤原基央さん椎名林檎さんだと今でも思ってますよww

車輪の唄“のメロディの美しさに唖然としたのを今でも覚えています。




日本語の歌が好き


歌詞がわかる音楽が好きで、そうすると必然的に日本語曲、邦楽が好きになりました。

洋楽も歌詞カード見れば何言ってるかはわかるにはわかるけれど、

なんかそういうんじゃないじゃん。

意味がわかるのとニュアンスが伝わるのは全然面白さが違って、

そんなところからJ-POPが好きになっていました。

洋楽に関しては歌詞がわからないからもう諦めてて、

とにかく速いのとか難しいのとか、テクニカル系が好きになりました。

Dream Theater楽しい!





漫画をたくさん読んだ


これも主に後輩数人が代わる代わる貸してくれたのですが、

今まで漫画というものをほとんど読んで来なかったので、

こんなに面白いのかと思ってめっちゃハマりました。

主にジャンプ漫画ですね、

ONE PIECE

BLEACH

HUNTER×HUNTER

DEATH NOTE


このあたりをこのときに知り、割と人生変わった感あります。

授業中の教室だった屋上に通じる階段の踊り場だったりでめっちゃ読んだ。


ポップンミュージック


周りの人の影響もあって、

アーケード音ゲーのポップンミュージックにちょっとハマりました。

ビートマニアはハマらなかったんですよ。

鍵盤状に並んでるのに鳴るのが全然その音階でないのがもう気持ち悪くて。

その点ポップンは9個のカラフルなボタンなだけなので、音階通りじゃなくても全然気にならない!

と、やっぱりポップな音楽が好きだったので、こういう方が好きでしたね。

なんならポップンミュージックのアーティストがゴッソリ出演するライブを見に行ったことがあります!

東京国際フォーラムだったかNHKホールだっかその辺に。

好きな曲を思い出そうとすると今でも50曲くらいは出て来ますが、2つだけ紹介。




チューニングが低くてパンクなORANGE RANGEって感じのDES-ROWさん。アルバムも買いました。

演奏もクッソ下手ですがめっちゃ楽しい。

キャッチーなメロディも謎の転調も、今聴いてもやっぱり名曲。


もう1曲はこれ。




イントロのギターベースオクターブフレーズからかっこよすぎるし、

落ちると思ったら落ちないAメロ、

絶妙に切ないBメロの転調、

全体に漂う冷たさ、

めっちゃ儚くて好き。


TOKAI TALBOを購入



高校一年の秋頃、

たまたま立ち寄った立川の質屋で、

Talboを見つけてしまいます。

Talboとは、東海楽器が製作していたオリジナルモデル。

最大の特徴は、普通は木材でできているはずのボディが、アルミニウム合金で出来ていること。

ただ、そんなことよりも、大好きなGLAYのHISASHIさんが使ってるモデルですから。




(↑これは木材でもアルミニウム合金でもない、まさかのアクリル製ww)

いくらで買ったっけなぁ。55,000円くらいだったかなぁ。

フレットが一箇所浮いてて弾きにくかったから楽器屋に持っていった気がする。

高校三年間はずっとこのタルボがメインだったので、

この時期に知り合った人は未だに”萩原悠=TALBO“というイメージらしい。


FERNANDES RAVELLEをオーダー



高校三年生のときに、そのときやってたオリジナルバンドで、やっぱりもうちょっと普通にいい音のギターが必要だなと思って……

というか、Talboを持ってるとどうしてもHISASHIさんの影響だというのを表してしまい、

そこから脱却したいと思ってギターを探し始めました。

つまり、ギタリストとしてのエゴと向上心が出てきたというわけですね。

レスポールっぽい音がいい、でもレスポールはみんなが持ってるから嫌だ……

ってことで、池袋のイケベ楽器が見つけたのがこのFernandes RAVELLEです。

RAVELLE ELITEという上位機種を元にイケベ楽器がカスタムしたものを受注生産で販売するらしく、

あれこれ迷った挙句にオーダーしました。

が、納期はガシガシ遅れて納品は半年後。

その間にバンドは解散してましたwww

そんなにRAVELLEを見ないけれど(特にこのフレイムトップのは全く見ない)、なんでそんなに納期遅れたんだろ……。

ちなみに、このギター購入より後はそんなにギター本体に興味がわかなくなり、

10年近くメインで使うことになります。

というか、このサイトのトップページで持ってるのがこのとき買ったRAVELLEです。

アレンジでアジカンメドレー


ちょっと企画バンドをやろうと思い立ったことがあって、

そのバンドでやる用にASIANKUNG-FUGENERATIONさんの曲をメドレーにして編曲したことがあります。

結局そのバンドは僕のまとめ方が下手でライブをやることなくポシャってしまったのだけれど、

このときのメドレー作りはのちの活動にも大きな影響を与えています。


魔法のiランド


これは→萩原悠、初めて本格的にバンドを始めるのところでも書きましたが、

バンド用のホームページを作っていました。

htmlでイチから構築するなんてのは知識がなく、というかインターネットがそういう風な仕組みになってるなんて知りもしなかったので、

魔法のiランドというホームページ制作サービスを使って作っていました。

むしろ当時のアマチュアが持つホームページなんてみんなこれでしたよね!

僕らもこれを使ってたわけですが、

“僕ら”と言っても結局僕しかやりませんでしたねwww

ライブ情報とかの更新はもちろん、当番制で日記を書くとかもみんな続かなかったのでひとりで書いてましたが、

このときの経験が今こうしてブログ書く下地になったのだと思えば、

随分オイシイ経験だったなと思います。



セッション


そんなわけで当時インターネット上にSNSなんてものはなく、

Mixiが流行る前の話なので、

なかなか交友関係は直接会うしかないわけですが、

それにしては頑張ってました、同世代のあまり知らない同士がスタジオに集まって、セッションとかしてたんです。

主にJanne Da Arc好きが集まってた気がする、

友達の友達とか、ドラムがうまいからとか、

そんな感じで集まって楽しく演奏してました。

LINE交換しようよとかTwitter教えてよとかも全然ない時代だったため、

今では誰の連絡先も知らないし名前も思い出せないけど、

みんな元気かなぁ。


免許を取る


高校三年生になって、親の助言で運転免許を取りに教習所に通いだしました。

4月生まれなので、18歳になって夏休みに取りに行ったんだったかな、

ひたすら眠い座学と、ビビリのせいでなかなかスピードの出せない技能と。

とりあえずストレートで取れたけれど、やっぱりあまり好きにはなれませんでした。

元々運転があまり好きではなく、というより、運転しながら目に入るいろんなモノが気になっちゃって、

信号とか対向車とか飛び出し少年とかに注意出来てない気がして。

普段から色々なモノやコトに考えを巡らせたいタイプなので、これは向いてないなと。

絶対事故る。

若いときは免許を持ってる奴ばかりじゃなかったので、ちょっと来てよと言われたら夜中でも親の車を借りて言ってましたが、

今はもう無理っす!

免許証は身分証明書として今後も大活躍することでしょう!


大人だと思ってた


高校時代の僕は、

今まで市内をチャリで移動するまでだったそれまでとは違い、

電車の乗って通学し、大都市立川(笑)にもすぐ行けて、

バイトして自分で使えるお金がいくらか出来て、

今まで会ったことないような人とも出会って、

なんだかすごく大人になったような気持ちでした。

高校生なんて今みたら全然子供で危なっかしいのに、

当事者はそんなこと微塵も思わないんですね……僕だけ?

心配とかいらないと思ってたしなんでも自分で決めれると思ってたけど、

そんなわけないんすよ、なんの責任も取れないしなんの決断も出来ないし、

もうただひたすらイキがってるだけ。

なんであんなに大きな気持ちだったんだろうなぁ。

後悔というか、家族や周りの大人に本当に申し訳なかったなぁという後ろめたい気持ち。

今では高校生や大学生にレッスンしたりで関わることがあるけれど、

まさにその世代の子たちを見てると

「あ〜そういう時期あったわぁ。」

と思ってしまうねw

「そんなにイキがってると自分が不利になるよ、むしろ恥ずかしいよ!自分がまさにそうだったからわかるんだ……」

そう言ってあげたくなる気持ちもあるけれど、

これって僕が当時周りに言われてたことでもあるから、きっと言っても無駄だww


まとめ


そんな高校生活、正直学校での思い出はそんなにありません。

ただ、この高校に行ってよかったなと思えるくらいには、

その後の人生を左右する大切な出会いもいくつかありました。

ぶっちゃけ他の高校に行けばそれはそれでまた違った楽しい人生になっただろうけれど、

今の僕がいるのは確実にこの高校に通ったからなわけで、

そう思うと、結構感謝の気持ちが湧いてくるものです。


ちなみに、このあと僕は専門学校に行くことになります。

ということで、次のページからは専門学校編です!

また更新したら読んでくれると嬉しいです!








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