高校に入って、中学生のときよりも行動範囲も広がり、やりたいこともやれるようになってきた。

となったら、やっぱりやりたいのはこれでしょう!

バンド!!

高校に行かずにギターの専門学校に行きたかったくらいなので、そりゃバンドもやりたいわ。

軽音楽同好会にも入れなかったしね!

ってことで、今日は高校生のときに組んだバンドのお話です。

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バンドをやりたい


それは高校一年生の冬、メンバーと出会い、毎週スタジオに入り、高校を卒業する直前まで続けていたバンドがありました。

名前は……やめておこうかwww

検索したら昔の告知とか出て来たわwww


メン募


メン募ってわかります?

まぁ読んで字のごとくだと思いますが、

メンバー募集ですね。

当時はインターネット上でやるなんて当然不可能だったので、

一番はスタジオや楽器屋などへのチラシ貼りですね。

二番は雑誌。

音楽情報誌の後ろの方に載ってました。

いわゆる

“当方プロ志向 全パート募集 俺と一緒に熱いHARTでROCKをブチかませる奴は連絡ください”

みたいなやつwwwww

笑い話じゃなくてマジでみんなこうやってたんだから。

“HART”ってなんだよ的なレベルだったんだからwww

僕は特に、学校にはやっぱり友達があまりいなかったので、

こうして学外に仲間を求め、行動範囲内のありとあらゆるメン募を片っ端から見ました。

当時高校一年生でとなるとそんなに歳の近いバンドも多くなく、

やりたいジャンルだとか方向性、メンバー構成や活動場所などを合わせると、

ホント賃貸情報見てるときと同じ感覚ですね。

ピッタリのものってはなかなかなかったりする。

その中からひとつ選んでドキドキしながら連絡したのが、僕が高校生活のほぼ全てを捧げることになるバンドでした。

メンバーもギターが入れば揃うって書いてあるし、

オリジナル曲もあるらしい。

よかった、すぐに活動出来る!

当時の僕は(今でも?)とにかく生き急いでいたので、

出来るだけ早く活動して、すぐに注目されて、すぐにプロになりたかったw

ので、このバンドメンバーと会うのもまぁ楽しみでしたね。

緊張はしたけどさ。

曲がなかったwww


晴れて立川で顔合わせをした冬の日。

よくよく話を聞いてみると、スタジオに入ったりしてみると、

1曲のリフ(イントロ)の断片みたいのがあるだけだったww

まぁ、高校生ですからね、オリジナルってそんな無理あるわ。

あ、このときに来たメンバーは
  • ギターボーカル
  • キーボード
  • ドラム
の3人で、全員僕の1コ上、高校二年生でした。

ベースはもう1コ上の先輩が入ってくそうとかで、交渉中のよう。

そんなこんなでバンドが動きだす。

でも曲がない……

そしたらどうする……

(普通はまずここでカバー曲をやるのが筋です。絶対そうした方がいい……けど)

僕が行動したのは、

作る


作曲しました。

実は前からこそこそ見よう見まねで作ってはいたけど、

ちゃんとバンドがいてボーカルが歌を歌ってというのは初めてでした。

そう、萩原悠、ここで初めて作曲をすることになります。

同時に作詞もするわけですが、このときはもう完全に小手先だけで書いてましたねwww

いや今はほとんど作詞なんてしないからあのときと今とを比べてどうとかってわからないけれど、

なんかいい響きになりそうな、いい感じになりそうな、を重視して歌詞を書いてました。

そうしてどうにかこうにか6曲の作詞作曲と編曲もして(全パート打ち込んだデモを作って配った)、

初めてのライブに向けて動きだすわけです。

自分の曲を聴いてもらう


中学生編で書いた”人生初ライブ!!”の次のライブということになります。

こちらは全て自分で作詞作曲した曲。

初めて人に聴いてもらった。

でもそこに対する達成感とか満足感はなかった。

伝えられたという実感がなかったし、そんなことも考えてなかったし、同時に大した手応えもなかった。

もっと伝わるにはどうしたらいいのかとかいう考え方にはならなかったな。

もっとうまくなってもっといろんな人に聴いてもらえばいいと思ってたから。

ただそのために努力したかと言われると……。

正直自分のやりたいことをみんなに押し付けたと思う。

府中Flight


Flight
このバンドが一番お世話になったのはここ、府中Flightというライブハウス。

このフライトをホームとしてライブ活動を行い、

というよりフライトの当時の店長であった大川さんに面倒見てもらって、色々アドバイスとかをいただきながらライブをしていました。

ここでほぼ月1で出演させて頂いて、まぁ〜大した成長はしなかったんですけどねwww

だって、実はそんなに一生懸命じゃなかったんだもん。

本人的にはがむしゃらだった。

でも、なんだろう、やる気の向きというか、方向……下手だったなぁ。

高校生なんてそんなもんかなぁ。

初のバンドレコーディング


1年ほどライブ活動を続けたあるとき、デモテープを作ろうってなった。

“デモテープ”って言葉が時代だよねwww

たしかMDだったんじゃないかな。

もっといろんな人に聴いてもらおう、曲も覚えてもらおう。

自分たちの曲を会場中が大合唱してくれるのを夢見てた僕は、

メンバーを焚き付けて無料配布音源作りを始めました。

これより前から一応MTRで多重録音とかをしていた僕はそこそこのやり方はわかったけれど、

本当に”そこそこ”だけで、ドラムにマイク立てるのも初めて。

生楽器だけで音源を完成させるのも初めて。

自分以外の声を録音するのも初めて。

ミックスってなに?

マスタリングってなに?

これのためにメンバーで2万円ずつくらい出して買ったZOOMの16トラックデジタルMTR。

使い方もよくわかんないから取説を片っ端から読んで、

なにがどう違うのかわからないけどなんとなく聴いてよさげなリバーブとか選んで、

コンプってなんだかわからないけどかけると音がドンってなるからかけておこう、

そんなこんなでどうにかこうにか作ったんだよ。

当時このバンドの象徴となっていた“WING”っていう曲、

そしてカップリングとして“SUNSET VIEW”って曲。

拙いながらも完成した。

これが僕にとって初めて、録音遊びとかじゃなく本気で完成させた音源です。

Talboを使ってた


このバンドをやってたときに僕がずっと使っていたのは、TOKAIのTalboです。


当時はGLAYのHISASHIさんがTalboを使っていて一斉を風靡していたので、これ持ってるだけでGLAY好きってことが知れ渡ってましたw

今思えばこのTALBOの冷たい音はバンドには合ってなかったように思うけれど、

むしろこのギターがこんなにかっこいいから僕は自身持ってステージ立ててたので、いいとしましょうww

ちなみに、今急に思い出したけど、ARIAの安いエレアコも持ってたな。

立川のロックインで15,000円くらいで買ったエレアコ。

もう安かろう悪かろうな1本だったけど、人生初のエレアコとしてそこそこ楽しみました。

あのギターどこいったんだろうな……。

(調べたら今でもほぼ同じやつ売ってた!!)



ホームページを持つ


今ではこうしてWebサイト上に大きなホームを持つことになった萩原悠ですが、

その始まりはこのときでした。

巷では”魔法のiらんど”というホームページ作成サービスが流行っていて、それを使ったバンド用ホームページを立ち上げました。

“魔法のiらんど”の”i”はおそらく”iモード”のi、

cssもphpもhtmlもわからなくて運営出来るため、

何の知識もないけどWEB上でなにか発信したいだとかコミュニティを作りたいって人たちが活用しまくってましたね。

うちのバンドも例にもれず”魔法のiらんど”を使ってライブ情報やメンバー紹介やブログを書いてたのですが、

まぁ結局すぐに僕ひとりでやってるみたいな状況になっちゃいましたねwww

みんななかなかWebにまで気が回らなかったようで、

情報更新はもちろん、ブログもひたすら一人で書いてました。

色んな人と出会った


このバンドをしていたことにより、僕はいろんな人に会うことになります。

主に府中フライトの店長(後に代々木laboに移動する)の大川さんが繋げてくれた縁ばかり、

SHINAPSのえばっち先輩、10年以上ぶりに偶然会ったときに「あれ、悠じゃない?」って言って頂いたのには涙が出た。

レッサーパンダの松田さん(今や大川さんの後をついで代々木laboの店長ですね)、

Clirisの聖治さん(萩原悠Presents Vol.1のゲスト参加してくれて、最近ではお兄さんと仲良しですw)

同じくらいに始めたのにどんどん遠くへ高みへ駆け上がっていったジンの皆さん、

別のバンドの方として再度お会いすることになるIN SHORTの皆さん、かわらだゆたかさん。

当時から大暴れしていたOver the Dogsさん、改心のICHIGEKIさん……

今ではすごい活躍してる方、今でも音楽が大好きな方、

今でも仲良くしてくれる方、同じ場所で夢見た方、

みんなあのときのこと覚えてるかなぁ、

別に僕のことを覚えてなくてもいいんだけど、

同じ思い出を持った人たちがたくさんいること、それが嬉しい。

数年後 “WING”に助けられる


WINGという曲はこの5〜6年後に、同人音楽活動をしてるさなかの作品にも引用されることになるんだけど、

それよりもっと後、かれこれWING誕生から10年後くらいなのかな。

この曲の歌詞と、頭のナカ空っぽそうな演奏に助けられることになります。

過ぎ去った日々は 遠くて今も僕に手を振る
なにひとつ無駄なものはないから……


from WING


これ、今でも僕の持論のひとつとして大切に持ってます。


バンドは解散する


このバンド、僕が高校三年生になってしばらくして解散してしまいます。

主な理由は3つかな。
  • 全然芽が出ない
  • 僕以外のメンバーが社会人に
  • 僕の性格が悪い

ってとこですね。

2年くらいじゃ芽が出ないバンドばっかりなのにね。

あと、僕のやる気がから回ってたかな。

結果を焦り過ぎていたところがある。


そんなこんなで、高校生活をがっつり捧げたこのバンドは、

完全に高校時代の思い出という枠の中に収まってしまうのでした。

このバンドのために半分オーダーメイドみたいにして購入したとあるギターは、

一度もライブで使われることなくバンドに先立たれてしまいましたwwww



以上、”萩原悠バンドをはじめる”でした!

次のページは萩原悠、部活に入るです!