わたくし萩原悠のプロフィールを出来る限り細かく書いてこれまでの歩みの全てをこのサイト上に残そうという試みで、
ゆっくりではありますが少しずつ進めています。
このページでは僕が専門学生だったときの話のまとめです!
細かく書くべきところは別ページで語っているので、
もし興味を持ってもらえましたら読んでみてくださいませm(._.)m
1年生
専門学校なので2年制です。
まずは一年生のときのお話。
専門学校に入学のため 初めてのギターインストを作曲
中学生のときも月刊GIGSを読んでいた影響で、
「卒業したら専門学校に行きたい!」
と思っていましたが、
さすがにそれは親に止められ、高校に3年間通ったのちに、
やっぱり専門学校に行きたかった僕はMUSE音楽院という専門学校へと進学します。
このときに入学試験の一環だった
「3分間でなにか弾け」
という課題が出て、僕はオリジナルのギターインストを作るのでした。
一応1番上のクラス
一応小学生の頃からピアノ、中学生からギター、高校生から作曲をやっていたため、
ギター専攻60人くらいの中で一番上のクラスに配属されました。
その一番上のクラスというのは実は2クラスあって、
片方はギターヒーロー系に8人、もう片方はポップス系に8人。
僕は、もちろんポップス系。
ハードロック/ヘビーメタルの超速弾きとかも好きではあったけれど、
一番は歌モノが好きだったので、割とそういう奴が多いクラスに。
この分け方はありがたかったな。
むしろギターヒーロー系のクラスの人たちを見て、こんなにみんなギターが好きなのかと驚いた。
自分は見てる世界が狭いなとも思っし、
同時に彼らの見てる世界が狭いとも思った。
アンサンブルの授業で気付いたこと
ギター専攻の僕らと、ベース専攻やドラム専攻、もちろんボーカル専攻の子らとも一緒になってアンサンブルの授業というものがあった。
ビートルズの曲をやるという課題で、
正直ビートルズの良さがそんなにわかってなかった僕、
というかみんな?笑
つまらないなぁと思いながら、段々と気づき出したバンドにとって大切なこと、
縦を揃えるとはどういうことなのか……
楽譜が読めてよかった
僕のギタリストとしての強みとして、
楽譜が読める、いや、楽譜が超読めるんですww
元がピアノ弾きだったこともあり、
その中でも初見は(当時のピアノの先生曰く)かなり出来た方らしく、
ピアノソナタの両手の和音を初見で弾ける僕にとって、
ギターの単音のフレーズを初見で弾くのは造作のないことで。
なんならどの先生よりも初見が速かったw
ここが他の生徒たちと比べて大きく違ったところでした。
僕よりも速弾き出来る人もセンスあるカッティングやフレーズが弾ける人もいっぱいいたけれど、
割とこの”楽譜が読める“という点で成績よかったです。
GLAYxEXILE”Scream”のMV撮影に参加したときの話
僕の大好きな、音楽がこんなに好きになった最大の原因で、ここまでギターを弾いて来た目標でもあるGLAYさん。
の、MVにエキストラとして参加しました。
GLAYさんに会えたことも嬉しかったし、
ちゃっかりHISASHIさんに握手していただいたこととか感動だったけれど、
むしろ”MV撮影の現場に入れたこと”、それ自体が一番ワクワクしたな。
“さん”付けの定義が出来上がった日のこと
そのMV撮影のときのことで、
以降の僕のスタンスに一番影響を与えたのはこれ。
“GLAYのJIROを何故JIROと呼んで怒られたのか”
です。
周りはみんないいギター使ってた
専門学校入って、これはびっくりしたんですよねぇ。
だって専門学校に入ったばっかりってことは、
ほとんどの人が高校卒業したばかりじゃないですか。
うちのクラスの人たち(つまり学年で一番弾ける)はもちろん、
下のクラスの人たちも結構みんないいギター持ってんのよ。
ギブソンとか当たり前に持ってて。
え、20万円も30万円もするやつじゃないの?
自分はせいぜい12万円くらいのやつ使ってるんやぞ……
お金持ってるんだなぁ、すごいなぁ、みんな頑張ってるんだなぁ……。
と思ったけど、あれ今思えば、全員が全員自分で買ったんじゃないよねww
そこそこ親に買ってもらってるだろうな。
自分はギターやエフェクターやシンセサイザーを親に買ってもらったことはなくて、
でも結局学費を出してもらってるからあまりそこは変わらないというか、
人それぞれだなと思う。
だからこそ、専門学校なんて行ったやつはその学費分しっかりそこで勉強しなきゃいけないのに!!
↓次へ続く↓
まさか半分やめるとは
専門学校での衝撃ってこれが一番大きいかもしれないww
入学して、
ちょっとしたオリエンテーションがあって、
授業が始まって、
ゴールデンウィーク明け、
夏休みも明けた頃には、
ギター専攻の奴の半分しか学校に来てない!
うちのクラスもたしか5/8くらいに。
下のクラスはもっとやめた。
僕はそんなにみんなと仲良くなかったから話は聞いてないし連絡先なんて知りもしないけれど、
多分専門学校、東京の代々木という都会のど真ん中に通う中で、
色んな楽しいことが見えちゃったのかな。
それか、基礎ばかりやる授業が退屈だったのかな。
専門学校に来たからには毎日バリバリギターを弾きまくると思ったのかな。
音符を読んでチマチマと弾く授業、
指4本をバラバラに動かすためのメカニカルトレーニングの授業、
音楽理論を学ぶ授業、
ビートルズをやらされるアンサンブルの授業。
つまらなかったのかな。
でもまぁいいっす、誰が挫折しようが、
僕の人生に関係なかったので。
むしろ前払いで学費だけ払ってくれてありがとうと思ってました。
バンドをいくつか経験
学内ではコミュ障してたので、学友とバンドを組む的なリア充路線には発展せず。
でも音楽で食っていくつもり、
つまりはバンドで売れなきゃいけないのでバンドを組まねば。
そうして3回くらいバンドを組もうとしたり既存のバンドに参加したりしたが、
う〜んどれもうまくいかない。
もちろん僕の人間性に問題があったこともあったかもだけど、
まぁ色々……な人がいたなぁ。
これはあまり書くと愚痴になっちゃって面白くないから、
ここで書くのはやめようかなw
そんなわけで、バンドで生きていくのは大変だなぁとここで痛感し、
バンドを一生懸命やる気がなくなってしまったのです。
FINAL FANTASY Ⅶと出会う
(この画面は2017年発売とされてまだリリースされてないリメイク版、超高画質です。)
これこそ学校生活とは全然関係ない、ゲームの話。
同じクラスでそこそこ話す奴……
というか、とりあえず学校に来てる奴だなwww
から、貸してもらいました。
いや自分ね、高校三年あたりの頃にちょこちょこFF6とかをやったことあったけど、
スーパーファミコンだったのね。
理由は簡単、スーファミのソフトが中古で安かったから。
ブックオフとかで500円くらいで売ってて、
FF6をやったらめちゃめちゃ面白かったってことがあって、
そんな話をしたら
「FF7が面白いよ!」
って言って、プレステのソフトであるFF7を貸してくれました!
(FF7も1997年発売だから、この時点で既に10年近く経ってる旧作状態だけど)
そしたらまぁ〜面白くて!
ヒロインが中盤で殺されて、以降本当に出てこなくなるし(どうせ生き返るとか思ってた)、
後半になって主人公の過去の記憶は全部偽物だったとかなるし、
もう衝撃的なストーリーで。
FFシリーズの中でも一番ポピュラーで続編やスピンオフなどもかなりの数作られているため、
「FFシリーズでなにが好き?」
という会話でこの7を出すとニワカ扱いされますが、
いやそれでも実際よく出来た作品だと思います。
僕の人生で面白かったゲームベスト3に入るりますね。
ひとつめは→自己紹介 小学生編まとめで書いたアークザラッド。
もうひとつは……もう少し後に出てくるのでそのときに。
このFF7以降、実は家でゲームやる時間が少し増えます。
ハマると一気にやりたくなっちゃうんですねぇ。
2年生
ここからは2年生での話です。
まぁ、お恥ずかしながらそんなに代わり映えはないのだけれどwww
バイトをめっちゃしてた
バンドを組まなくなっていたので、
正直時間が余ってます。
この時点で専門学校の学生としてヤバいんだけどねww
ということで、1年生の頃からちょこちょこやってたバイトを、
2年生になってかなりの頻度でやるようになりました。
でもホント、そのお金何に使ってたんだろう……。
昔から浪費するタイプではなかったし、
趣味もなかったし、
服もあまり買わなかったし(今よりは……買ってたな)、
一緒に出かける友達もいなかったし(今より……いなかったなw)
ホントなにに使ってたんだろう……。
多分、エフェクターとか買ってたんだろうな。
とか、この後に書くけどシンセサイザーを買って、それ以降ミキサーとかちょこちょこ買い揃えることになるし。
池袋や表参道でホットペッパー配ったり、
パチンコ、引越し、ライブスタッフ、謎のタンクの清掃など、
お金を稼ぐことを目的に、
知らない世界を知っていくのが楽しかったのを覚えてます。
新宿の小田急デパートの搬入口の場所知ってる?
そこから入るんだ!
っていう寒い通路を通ってお客さんが来る前にドカドカと商品を搬入していくのとか、
結構楽しかったんですよね。
バイトに関しては高校生編のところで全部まとめて書いてしまったので、
よかったらそっちを読んでくださいませ。
ウルフマンBRSのアクセサリーを買う
今でもライブのときだけ使ってるシルバーアクセ。
これは最初、音楽で頑張っていこうとしたときに決意も兼ねて買いました。
次第に数が増えていきましたが、全て同じブランドのものです。
カラスに蹴られた!
これも音楽人生とは直接関係ないんだけど、
僕の鉄板エピソードなのでブログに書きました。
西新宿のオフィスビルへバイトの給料を受け取りに行ったときの話。
まさか、カラスに蹴られることになるとはね……。
作曲に興味が出る
ギター専攻として学校に通う日々でしたが、
なんだか作曲や編曲に興味が出てきて、作曲専攻の授業にも顔を出させていただくことになります。
今までうちの電子ピアノでやってた多重録音よりももっと色んなことが出来る!
これは面白い!
そうして、当時使ってたギターよりも高いシンセサイザーを買うことになるのです。
それが今でも使っているKORGのTRITON extreme。
更に人数が減ったww
もう驚きだよね、1年生の夏休み明けにギター専攻とボーカル専攻を中心に半分くらいの奴は来なくなりました。
で、その残ったやつは学費さえ払えばとりあえず全員二年生になれるわけだけど、
二年生になってからもまた人が減るのよ!
なんで学費払ったし!
人数減った状態で再編成された8人のクラスメイト。
結局最後までいたのは2人だったなぁ。
有田和成
その、最後まで残ったという唯一のクラスメイトww
かと言って特に深い話をしたかと言うと全くそんなことはなく。
もちろん卒業後もほとんど絡みはなかったけれど、
少しだけ、僕が同人音楽サークルをやってたころには2回ほどアコギを弾いてもらったことがあった。
学校では当然エレキを弾いてたわけだけど、有田はアコギも上手いのよ!
ってことで僕が2015年に15万円くらいでアコギが欲しいってときにひっさびさに相談した。
15万円でアコギを手に入れろ大作戦! 7本の候補たち | 萩原悠.com
そんな2015年には共通の知り合いを通じてまさかの再開を果たし、
2018年にはその”共通の知り合い”ことおはるさんのバックバンドとして遂に同じバンドに所属することになります。
(右下,黄色が有田)
飯塚さん
二年生のとにの授業を担当してくれていたのが飯塚さん。
今は声優の谷山紀章さんと一緒にやってるユニットGRANRODEOの作編曲、ギタリストとして活躍しているe-ZUKAさんです。
学内全講師の中でも珍しく、うちのクラスの授業1コマしか受け待ってないという状態で、
一応一番上のクラスってことで、かなりハイレベルな授業ではありました。
すぐ速弾きしろって言うし!
それに影響されてこっちもアドリブの最後を16分音符で弾きまくってみたら
「萩原君そこは6連で行けるでしょ!」
とか言って更に1.5倍速の速弾きを強要してくるしw
そんな飯塚先生は段々授業にトラ(代理)を立てることが多くなり、
学祭用に講師が作るはずの音源も僕が代わりに作るハメに。
いきなり電話掛かってきて「今度奢るからさぁ」と言われて引き受けたけど、
あれれ〜奢って頂いてないなぁ!
そんなこんなでほとんどの授業をトラの方が担当して下さり、
ある日テレビのCMかなんかで知ることなります。
慟哭の雨/GRANRODEO
ん?
飯塚先生やんwww
e-ZUKAってなんやねん!
応援してます!
滝田さん
二年生のときのアンサンブルの授業を受け持って下さったのは多弦ベースで有名な瀧田イサムさん。
また、二年生のときは実は選抜クラスというのもあって、超ハイレベルなプログレとかをやる授業がこっこり開講されてて、
僕はそれにも選ばれて参加してたのですが、そこでも瀧田先生が担当して下さってました。
二年生のときのアンサンブルの授業ではオリジナル曲をやろうという課題だったので、複数曲デモ音源を作って行って聴いて頂きました。
つまり、書き下ろしの歌モノをちゃんとした音楽なプロに聴いて頂くというのはこのときが初めてだったんです。
瀧田さんは結構正直に言ってくれたと思う、
この曲のこの部分は調性が曖昧だから不要だとか、
どこを一番聴かせたいのかがわからないとか。
この
「どこを聴かせたいのかをはっきりさせる」
っていうのはその後の作編曲において毎回かなり重視しています。
そのアドバイスを頂いた曲はたしかに、Bメロに自信があったのでBメロとサビを同じくらい推していた。
それが聴いててちょっとよくわからないと。
たしかに、大事なことだわぁ!
一生覚えておきます、ありがとうございます。
当時からやってたGRANRODEOのサポートも最近はめちゃめちゃ忙しそうだなぁ。
アニソン、キャラソンを聴くようになる
飯塚先生や滝田先生はアニメやゲーム関係の音楽を担当するランティスで楽曲提供をしていて、
当時から相手のことをこっそりストーキングして知っておくスタイルだった僕は、
特にアニメとかは見ないけれどアニソンを少し聴くようになりました。
このときが2006年。
2005年にテレビドラマで”電車男”がブームになったこともあり”萌え”の文化が大爆発を始める時期ですが、
僕は正直そういうの苦手で、
声優さんの萌え声的なのは受け付けなかったのですが、
とにかく曲はかっこいいなと。
しかも僕の好きなポップでキャッチーなサウンドだし。
このときに聴いた
- “遙かなる時空の中で”
- “君が望む永遠”
- アンジェリーク
あたりが僕のサブカル音楽デビューになります。
初めての舞台音楽
ギター専攻として専門学校に通っている最中、
萩原悠ついに初めての作曲家としての経歴のスタートです。
大学生の舞台音楽を作曲させてもらうことになり、
ここで色んなことを学んでいくわけです。
まさかコンビニのお客さんからのこんな依頼をいただくとはね……。
音楽大学に進学する
専門学校というのは二年生なので、卒業したらどうする、はっきり言ってこの学年で卒業してすぐに音楽を仕事に出来る人はいないようだ…
もちろん、一般企業に就職する人を除いて…
さぁどうする、そして僕は、
音楽大学に進学することにしました。
作曲をやるために。
というのはまた次回からの、萩原悠のプロフィール音大編でお話しましょう。