これまでのあらすじ。

校則が緩く駅から近い高校に進学し、

高校一年生の頃から外でバンド活動をしていた萩原悠。

しかし二年生も終わろうとする頃。

まさかの部活動に参加するようになるのでした。


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高校一年のときは部活に入れなかった


高校に入ったらギターやってるやつとかいるんだろうな。

バンドとかもあるんだろうな。

そんなイメージで進学しまして、案の定軽音楽愛好会がありました。

夢にまで見た”学校でバンド!

しかしそのときは入部(入会っていうの?)しませんでした。

仮入部?見学?

をしに行ったときに、たしか先輩たちがなんか演奏してくれるってなったんだけど、

その日ギターの人がいなかったらしくて。

で、代わりに僕が入ってギター弾いちゃって、なんか変な空気になってそれ以降行くのをやめたというw

ちなみに、このとき弾いたのはDIR EN GREYcageでした。




そして僕は、帰宅部の部長のような存在になるのでした。(深い意味はない)



合唱部の手伝いを始める


高校2年の後半、クラスの合唱部のやつに頼まれて、合唱部の定演かなんかの助っ人で入ることになりました。

合唱あるある“の男声不足を補うためのヘルプですね。

ただ、わたし音楽やってはいたけど、歌めっちゃ下手なんですよね……。

当時はそこまで自分が下手だと思ってなかったけれど、

うん、結構なもんだったんじゃないかなぁ。


初のミュージカル


当時から少しだけ劇団四季などの公演を観劇したことはありましたが、

初めてミュージカルを作る側になったのがこの高校の部活です。

なにやったかなぁ、美女と野獣は覚えてるんだけど、もうひとつくらいやったような…

(あ、星の王子様かな……あれ、エルコスかな?)

ちなみに、助っ人の僕は役はなくアンサンブルなんだけど、

なんかみんなが バーのマスター という役を作ってくれて、ソロダンスまでありましたw



NHK全国学校音楽コンクール


通称Nコン

NHKと全日本音楽教育研究会が主催する合唱コンクールで、

つまり学生たちのための合唱の祭典て感じです。

いや〜面白かったなぁ。

自分らもそこそこ頑張って合唱曲を仕上げたってのもあるんだけど(部活の合宿なんて後にも先にもこのときだけ。)、

各学校がそれぞれに練習して来たってのを見ると、それぞれ全く違う曲になるなぁと。

で、他校のを聴くと

「あ、うちら全然頑張ってねぇやorz」

ってなったなwww

みんなはどう思ってたんだろう。


合唱をちょっとちゃんとやった


合唱って、ほとんどの人が学内の合唱コンクールのときくらいしかやらないと思うんです。

あれは授業で練習になるので全員参加が当たり前、逆に言えば、

歌の上手さよりも出席することが大事。

「ちょっと男子ぃ!」

とか言われても気にしない。

それしかやったことない合唱を、

結構ちゃんとやるという機会に恵まれました。

自分の歌ってる音程をこんなにちゃんと聴いたのは初めてで(これより前に既にバンドでコーラスとかやってたのに!!)、

周りと合わせることがこんなに難しいんだと気づいたのもこのときでした。

のちに僕は合唱の指揮とかミュージカルの指導とかもすることになるのだけれど、

このときの経験が下地になってるなぁ。

舞台の伴奏


これはミュージカルのワンシーン、

舞台の進行に合わせてBGMの伴奏を変化させてく必要がある場面があって、

そこだけ伴奏を代わりに請け負いました。

リアルタイムで舞台の伴奏、のちにやっていくことになるこの作業もここが初めてでした。


持論 助っ人はあてにならない


これは自分のこと、正規部員じゃなくてヘルプ人員。

こういう存在って正直あまりあてにならないですよね。

やっぱりモチベーションが違う。

どうしたって”手伝ってあげてる”程度になってしまって、

“自分たちのステージ!”という意識が薄くなってしまいます。

まぁこれはひとえに僕のやる気の問題だったのだけれど、

逆に自分がこういう存在だったからこそ、

助っ人さんやお手伝いさんがどうしたらもっと前のめりに参加してもらえるかを考えるようになりました……のはここから10年くらいあとの話だけどwww


軽音楽愛好会に入る


3年生になって、軽音楽愛好会に入ることになります。

そんなわけで1年のときには入りそびれてしまいましたが、

自分が3年になるころと言えばもう上級生は誰もいないわけで、

なんなら同級生たちも3年になる頃には全員引退してしまったようです。

あ、うちの高校、割とガッツリ進学校だったんですね。



準顧問的な


合唱部と軽音楽愛好会を兼部してる1個下の奴がいて、

そいつきっかけだったかな。

軽音に顔出すようになります。

その後の流れはよく覚えてないけれど、顧問の先生との話で、

僕は後輩たちに教えるっていう立場で入ったんです。

なので、実は部費も払わないでいいと言っていただいてたし、

その代わりに初めて楽器持つような子たちに教え……てるように見せかけて適当に色んなバンドに顔だして後輩たちと遊んでただけかもw

とにかく、軽音に誘ってくれたあいつには感謝です。

今では全然連絡取らなくなったけど、元気かな?

自分もバンドに入れてもらう


なんだかんだで僕もバンドに入れてもらって、顧問の先生にも参加していただいて、

部内ライブにも出させてもらいました。

各メンバーの趣味を適当に雑多に取り入れて、何曲か演奏したなぁ。


Do As Infinity
THE YELLOW MONKEY
GLAY
東京事変
175R
BUMP OF CHICKEN
ASIAN KUNG-FU GENERATION

あたりをやった気がする。


ブレーカー落ちる事件


とある部内ライブで、僕らが気持ち良くBUMP OF CHICKENさんのロストマンという曲(超名曲!)を演奏してるときのこと。

最後のサビの最後のフレーズを歌い終わる瞬間に、

ブレーカーが落ちましたwww

ボーカルの奴のロングトーンと、

その三度上の僕の声と、

あとはドラムの音がドン!パン!ドン!パン!ってwww

でもう照明も全部落ちて真っ暗www

特にみんな大ごとだとは思わず数人が他の教室見に行ったりしてる間、

真っ暗な教室で僕とボーカルの奴とで弾き語りスタイルでGLAYさんの”BELOVED”を歌ったときがなんなら一番盛り上がったなぁ。




ちなみに、

部員たちは揃いも揃ってこの停電の原因は僕のエフェクターが多すぎるからだと責めて来ましたが(俺先輩やぞ!?)、

結局本当の原因は床に転がしていたホリゾントライト。

その電源コードをグルグルと巻いたまま使っていたためケーブルが熱で溶けてショートしたようでした。


顧問の先生の名言


これはその後の僕の人生にずっと影響を与えてる一言なので、

皆様にもお伝えしようと思います。

「音楽っていうのはさぁ、時間が経つと消えてしまうものなんだよ」

すごくないですか?

このときはたしか、

「だからみんなのライブはみんなで作る、なにかトラブルが起きたらみんなでカバーしてあげなさい」

っていう話だったかと思います。

いい話だなぁ。

で、僕はこの話の前半を特によく引用してて、

「音楽っていうのはさぁ、時間が経つと消えちゃうわけ。だから今この瞬間に聴かないとなくなっちゃうし、聴いてくれる人がいるからここで演る意味があると思う。」

とか、

「舞台演劇ってのは時間が経つと消えちゃうものだから、出来るだけ多くの人に見て欲しいと思うし、その一瞬のために役者もスタッフも全力を注ぐべきだよね。」

とかよくドヤ顏で言ってます。


卒業時にもらった


Strap
唯一の3年生だったわたしは、後輩たちに惜しまれながら(と信じたい!!)卒業していきました。

そのときにみんなからストラップもらいました。

全員メッセージ書いてくれてんの!


ちなみに、このときの後輩の中に、

同人音楽サークルを手伝ってくれた奴、

萩原悠Presentsのヘアメイクやってくれた奴、

などなど、その後も関わることになるやつらが多くいました。



演劇部を手伝う


高校三年の後半、ここが僕にとって初めての劇団経験となります。


照明担当


このときは照明担当として参加するわけですが、

(小6のときの学芸会でも照明担当だったけど、あれはノーカウントとしようw)

全然ちゃんとした機材もないのによぉ頑張ったわと思います。

家庭用のコンセントタップとかでオンオフ切り替えてたもんねw

照明素人な僕のために色々準備してくれたし、みんな周到に準備してくれました。


こいつらはすごかった


この劇団、5人しかいなかったんですよw

照明オペレーションに僕が、
音響オペレーションに後輩がひとり、
受付に後輩がひとり手伝ってくれたんだったと思うけど、

脚本、演出、音照プラン、大道具、小道具、衣装、広報、宣伝美術、渉外、出演…

全部自分たちでやってたからね。

今思い返しても高校生でこれだけやるってのはすごい。

すげぇ忙しそうだったけど、なんであんなに楽しそうだったんだろ、

ポテンシャル半端ないっすね。

まぁ…トラブルも色々あったけどw

このときのメンバーとは、今後もそこそこ関わり合いがありまして。

この劇団に誘ってくれた奴とはこの2年後、

彼女が主催する劇団に楽曲提供をさせてもらうことになり、

劇場で自分の曲がかかるのはそのときが初めてということになります。

また、このメンバーの中に実は中学のときの塾で一緒だった奴がいて、

彼とは高校演劇を終えた三年後に、また一緒に同人音楽サークルをやることになります。

他にも、一緒に歌モノの曲を作った奴もいたり、

結構このときのメンツとはその後の人生においてそこそこ関わりが多くなりましたね。


部活はやった方がいい


そんな感じで、帰宅部の部長に始まり、

軽音楽部、合唱部、演劇部に出入りすることになり、

それぞれでとても貴重な経験をさせてもらいました。

学校って一応勉強しに行ってるかもですが、

勉強って授業だけじゃないね。

みんなありがとう!


てことで、次回は自主制作CDを作るです!