– これまでのあらすじ –
大学1年生のには無事に学年主催ライブなんかも乗り越え、
なんだかんだで2年生にもなったある日、
同人音楽という世界があることを知ります。
同人音楽とは
そもそも同人とは、
“同じ趣味・志を持っている人たち”
のことで、コミケなどに代表される、
趣味を分かち合う人たち、またそのコミュニティのことです。(多分)
主に好きなアニメキャラクターを用いてオリジナルの漫画を描いたり小説を書いたりして交流するという文化から始まりましたが、
その波は徐々に音楽界隈にも広まり、同人音楽というものが生まれました。
漫画界隈よりかはオリジナル色が強く、自主制作自費制作で同人系の即売会に出てればもうそれは同人音楽と分類される的なゆるい空気でした。
じゃあインディーズと同人はどう違うんだって話にもなりますが、
そこはやっぱり主戦場が即売会かどうかだと思います。
同人の方がサブカル色が強いとか萌えが必要だとかはありましたが、まぁその程度ですわ!
「萩原は同人とかやらないの?」
大学の友人に誘われました。
彼とは1年のときの企画ライブでうちのバンドに入ってもらったりして、少し話もした間柄です。
で、次のページで書こうと思ってるミュージカルの件とどっちが先だか忘れちゃったけど、
彼の誘いで同人音楽即売会ってのに出店してみることにしました。
ただ僕は、萌えが苦手だ。
そしてこの時期に大流行りしていた初音ミクを始めとするVOCALOIDも苦手だ。
この時点で、市場とは合ってないということは気付いていました。
でも作品を作ることは好きだし、一旦自分のやりたいことをやってみようと思って、同人音楽サークルを立ち上げることにしました。
(ここで言う”サークル”ってのは”名義”のようなもので、全部ひとりでやっててもサークルということになります。)
仲間がいた
ありがたいことに、僕が同人音楽サークルを立ち上げるというときに、
手伝ってくれる仲間がたくさんいた。
中学生のときに塾で同じだった奴、こいつは高校時代僕を演劇部に誘った奴だ。
それと、初めて舞台音楽をやらせてもらったときの照明さん。音響担当の僕の相方という存在。
また大学に一緒に入学した高校の後輩(大学では同期になった)もいろいろ手伝ってくれた。
他にも歌を歌ってくれたり、ヴァイオリンを弾いてくれたり、CDの手焼きを手伝ってくれたり、声優やってくれたり、
色んな仲間がいた。
そのおかげで僕は結構やりたいことをやれて、全9作品を頒布(←同人界隈では”販売”とは言わずこの言葉を使う)することが出来ました。
インターネットラジオをやっていた
(もしかしたら同人音楽サークルやるより前からやってたような気もしてきたけれどまぁいいや)
同人音楽サークルを始めるにあたり、知名度もなにもない僕らは、
まずどうにか知ってもらわないといけない、ファンを獲得しなければいけない。
そう思ってやり始めたことのひとつがインターネットラジオでした。
まぁなんてことはない、自分らでコーナーとか作ったお喋りにBGMとかつけて編集して、サークル用に立ち上げたブログに貼り付けるだけ。
こんなことを始めました。
同人音楽サークルは5年くらいは活動してたわけだけど、
ネットラジオは割とその後もやったりやらなかったりで2018年くらいまではやってました。
ラジオ聴くのが結構好きで、誰かの作業用BGMになったら嬉しいなってのと、
ネットラジオだったら好き好んで聞いてくれる人しかいないはずだから、ちょっと尖ったこと発言してもいいだろうと思ってww
M3
現在でも開催され続けている同人音楽即売会M3。
うちのサークルも基本このイベントくらいしか出展しませんでした。
コミケはちょっと人が多すぎて苦手で。。
同人音楽業界とM3が発展していく最中の4年間に参加していたので、
参加サークル数はどんどん多くなり会場も大きくなりというのを目の当たりにしました。
今でも春と秋にM3が盛り上がってるのを見るとなんだか懐かしい気持ちになります。
ちょっとだけ各作品の思い出語り
一応自分の作品だしどこかに専用ページつくろうかと思ったけど、
学生時代にちょっとやってたサークル活動だしまぁいいかってことで、
作品についてと、僕の”気付き“についてのまとめとしてここにシレッと書いておこうと思います。
1.THE CORE
2008年10月。M3のスピンオフ的なイベントが開催され、そこに出展。参加サークル数はたしか130。
同人音楽サークルを立ち上げたとは言え、同人という世界の市場をほとんど理解することなく作った作品。
この頃作っていた楽曲をわさっとまとめたオムニバス的なCDで、
自分が有名人なわけでもないしなにか有名な作品を踏襲したわけでもなく、
同人的な”萌え“があるわけでもないという、割とバンドマン的な作品集ですw
この頃作らせて頂いていた舞台の曲だったり歌モノだったりと、そのあたりもごちゃごちゃだったので聴きにくかっただろうなぁというのと、
初めてCDを量産(数十枚なので大した数ではないw)したということもあり悩みと失敗の連続でした。
ジャケットの印刷も自宅プリンターでやってたけどそこそこのクオリティにしたらインク代で大赤字になることが判明したり、
データを焼いてないCD-Rをパッキングしちゃったり。
これが自分で企画から製作まで全部やって納期に間に合わせるということかと、
とっても勉強になりました。
2.自由平方空間メートル
– 繰り返していく昨日と同じ今日 それを平和と言うんだ –
2008年11月。初めてのM3本戦参加。サークル数は300くらいだった気がする。(ちなみに2018年では参加サークスル1200だそうです)
こちら、ドラマCDってやつなんですよね。
オーディオドラマとか声劇がちょっと流行ってた時代でした。
自分は映画音楽とか映像音楽とかがやりたくて音大に入ったので、
BGMをとにかく作りたくて。
それで作品をまるっと作るということになりました。
とは言え脚本は知人が舞台でやってたのを声だけで出来るように書き直してもらって(結末は僕の好みで大幅修正してもらったけどww)、
僕は割と音楽の制作と録音を……
のはずだったんだけど、なんでだったんだっけ、自分も声優やりましたwww
しかもあれって主役ですよね?
でしゃばりだったのか、出来ると思ったのか、なんだったかは忘れちゃったし、
他のメンバーは舞台の人、舞台の人、声優の卵、ってことで僕だけド素人なのですが、とっても勉強になりました!
声優、難しい!!
ちなみにこのとき4人でカラオケボックスに行っては台本の読み合わせ。
その練習を録音して持ち帰るために買ったのがZOOMのハンディレコーダーH4。
2018年の沼津の海で水没させるまで10年間大活躍してくれました。
一晩明けて今日も海の音録音してきましたが、風よけで僕の靴下を被ったハンディレコーダーが水死する瞬間がこちらです。 pic.twitter.com/kuBgnUrQHo
— 萩原悠 (@hagiwaraU) August 28, 2018
詳しくはコチラです!
また、前作のインク代問題へのひとつの対策として、ジャケットが白ベースになりましたww
3.夏が来る前に
– あなたの夏は何色ですか –
2009年5月。
季節に関係したテーマがいいなと思ったけれど5月ってめっちゃ微妙……
ってことで思いついたのが”夏が来る前に“というテーマ。
やっぱりわかりやすく歌モノを制作しようってことで作った作品。
3人のボーカリストさんにそれぞれテーマに沿った歌詞を書いてもらって、それに合わせて作曲。
・赤い夏が来る前に
・黄色い夏が来る前に
・青い夏が来る前に
の3曲とそれらの統括みたいなオープニングとエンディングをつけてひとつの作品に。
前作に引き続きヴァイオリンを弾いてもらったり、
今作だけアコギも弾いてもらいました。
アコギは専門学校(卒業して2年が経つ)で一緒だった有田和成。
顔を合わせることなくデータのやりとりだけで済んでしまったことに当時「なんか俺たちすごいことしてる!」と思いましたが、
実はアコギのソロのデータを貼るタイミングを間違えて、せっかく有田が弾いてくれたのにズレたタイミングでの演奏のままリリースしてしまいましたww
本当に、確認って大事だよね。学んだ。
ちなみに有田とはここから10年後の2018年、つまり12年会ってなかったのに一緒にバンドをやることになりましたw
(右下,黄色が有田)
専門学生編はコチラです!
4.エリーゼのために
– 私が欲しいもの それは簡単な…… –
2009年10月。
やっぱりね、本当は最初から気づいてた!
同人音楽イベントで売っていくなら、その市場にあったモノを作るべきだよ!
で、じゃあどうするか、イラストですよ。
やっぱり可愛い子が表紙になってないとダメだ!
前作”夏が来る前に”もまぁそこそこは売れたのですが、全然趣味レベル。
在庫抱えて赤字のレベルだったのですが、今作からはやっぱりちょっと反応がよかったですね。
作品もファンタジーに寄せたストーリーモノ、サウンドもバンド系ではなくPCMシンセ多めでふわっとした感じに。
とか言いながらこの時期にIbanezのエレキベース買いまして、
初めてベースソロセクションも作っちゃいましたww
また、タイトルの通りベートーヴェン氏(大好き!)のピアノ曲をモチーフにしたフレーズが作中に度々登場したことや、
初音ミクもコーラスに参加してることなどが特徴。
(この数年後にSOUND HORIZONさんがドイツをテーマにした作品で”エリーゼ”ってキャラに初音ミクの声を使ってたのはちょっと「やられた!」と思いましたw)
5.PRESENT
– キラリキラリ 輝く瞬間の中で –
2010年5月。
もう完全に吹っ切れて、自分の一番好きな音楽を作ろうと思って制作したらまんまとGLAYサウンドになったという突き抜けてる作品w
初めてワウワウエフェクターを使ったり、初めてアンプを鳴らして撮ったギターを入れたり(普段はアンプシミュレーターソフトですからね)、
そしてなにより、それまで複数人数で歌ってもらってきたけど今作でボーカリストはひとり。
よりバンドっぽくなった感じがします。
大学4年生にもなりミックス等もそこそこ出来るようになってきたため、
それまでの音源とは割と別物に仕上がり、
ジャケット等のビジュアル周りをusiさんという奇才にお願いすることになり、イラストの効果もあってかCDの売れ方もまた良くなり、
ようやくここからイベントで100枚売れるサークルに。
ちなみにタイトルのPRESENT(プレゼント)は”現在“という意味で、
高校の頃後輩が部内ライブのMCで
「”今”っていうのは過去からの贈り物だそうです」
と言ってたのに感動してそこからパクりましたw
落ち込んで、自暴自棄になって、そこから立ち直って、キラリキラリ輝く瞬間の中で
の4曲を、別に全体のストーリーはわかってもらわなくていいやと思って並び替えたのがこのPRESENTというCDでした。
6.THE CORE II
こちらはコミティアだったかな、他の作品のようなちゃんとしたものではなくたしか無料配布。
前作PRESENTと次回作LINKのダイジェストだったりを入れて、
今後のイベントでの集客と売り上げを上げるための先行投資。
こういうことを考えられるようになったのも同人音楽サークルやってたから、
作品がちょっと売れるようになったから、
一緒に手伝ってくれる仲間がいたからですね。
ちなみに、ジャケットはめちゃめちゃ好きなのにデータが残ってなかった。
7.LINK
– 小さなRINGが廻り出す―― –
2010年11月。
前作PRESENTが割と自分ひとりの世界でのお話だったので、
他者との繋がりも書こうと思ったのがこちら。
PRESENTとは姉妹作品のつもりで、作者的には2枚で完結という心持ち。
(ジャケットは2枚並べるとリボンが繋がります。)
ずっと手元にあったけど長らく使ってなかったエフェクターBOSS/MT-2をようやくうまく使えるようになったこと、
BOSS MT-2 [Metal Zone]
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シングルコイルのギターが欲しくて御茶ノ水のイシバシ楽器さんでストラトキャスターを買ったこと、
そしてそれらを使って仕上がった”優しくなれたら”という曲が僕の普段の考えを綺麗に1曲に収められてしまって、
言いたいことがなくなってしまいその後は自分の内面を書き出す作詞をしなくなったほどです。
8.WAY TO THE WAY
– どうか、負けないで –
2011年5月。
2011年3月に起こった震災で心が病み(主な原因:自分はほとんど被害を受けずにのうのうと生きていること。)、
電力が足りないってのに僕なんかがパソコンや電子機器を使って音楽作ってなにになるんだと思い一旦制作はストップ。
M3にも出ないつもりでしたがTwitterとかを見てると、
会場に行けるサークルはちゃんと新作を持って行って、なんというか、自分の無事をアピールしつつも界隈を盛り上げようとしてて、
そういうのも悪くないのかなと思って慌てて制作開始。
元々は歌モノを作るつもりだったけど作詞とか歌入れとかがあるから全部キャンセルで、インスト作品を作りました。
usiさんのイラストセンスが爆発しててジャケットがめっちゃ好き。
9.REST IN DEEP FOREST
– さぁ、おいで –
2011年11月。
ちょっと同人音楽疲れちゃってwwww
おかげさまでリリースすれば毎回買ってくださる方とかも増えて来ていて、
ブログを読んでくれる、ネットラジオを聴いてくれる人も増えて来たのだけれど、
とは言えこれを今後もやっていくのかなぁってことに疲弊の時期でして。
どうしたらいいんだろう、嫌いじゃないけど特に先がすごく拓けてるとも思えない。
もう大学も卒業しちゃってる、音楽家として生活ができていない!
というそんなモヤモヤをそのまま作品にしましたw
無調性音楽パートがあったり、
5/8拍子の伴奏に7/8拍子のメロディが乗ってるパートがあったり、
造語のコーラスパートがあったり、
逆再生とノイズのパートがあったり、
迷走と瞑想の22分ノンストップBGM作品。
ちなみに今作と前作は僕の好きなパーカー女子をジャケットに描いてもらって、パーカーガールシリーズ(PGシリーズ)と呼んでましたw
同人音楽はふらりとフェードアウトへ
本来は10作目としてまとめになる作品を作ろうと思ってました。
それで綺麗におしまいと。
後から気づいたこととして、どの作品にも割と強めに”孤独”というテーマが入ってて、
これを元にまとめられたらなと思ったんですけどね。
それでいくかの作品で
「君はひとりじゃないよ」
という似たような歌詞があって全部メロディを同じにしておいたという伏線は張っておいたのですが……
結局そこまで熱量を保てずになんとなく活動休止。
でも今でも当時の知り合った方々ともたまにやりとりするし、
作業も企画も運営もめちゃめちゃ大変だったけれど、
それでもやっておいてよかったなと思ってます。
スケジューリングの基礎とか、
周知させる大切さとか、
メンバーとのやりとりとか、
ほんと今になっても活きてます。
ってことで、今回はここまで。
次のページは一番長いクライアントさんである学生ミュージカルサークルさんとの出会いです!