– これまでのあらすじ –
音大に入って作曲、DTMを学んでいる傍ら、
うちのコースには録音やPAを学ぶ人たちもいて。
そんな中、同期の奴から面白いお話を頂くことになります。
「萩原ってボーカル録音のディレクション出来る?」
声をかけて来たのは大学に入ってからちょこちょこ交流のあるSGMさん。
学年主催ライブで僕のバンドに参加してくれて、
僕に同人音楽という世界を教えた人。
彼がなにやら突然頼んで来たのはボーカルディレクション。
しかもミュージカル曲、しかも大人数、しかも明日だか明後日だか。
ちょっとなにがなんだかわかんねぇけど、SGMさんには世話になってるし、
なんだか面白そうだし、
「やるよ。」
これがその後10年続く学生ミュージカルサークルとの付き合いの始まりでした。
神田外語大学 劇団輪座
当時発足から二年目というとても若い団体だったけれど、自分たちで脚本書いて演出して音楽も発注してってのを年一でやっていて、
結構すごかったんですよね。
二年目の作品はSGMさんが楽曲を作ったそうで、そのプレスコ(事前に歌も録音しておいて流すパート)をRECするってことでそれの立会いを行いました。
まぁ〜人数も多いし曲数も多い。
でも持ち前の”耳コピが早い“と”初対面に強い“と”なんかそれっぽく話せる“のスキルを活かしてどうにか楽しく乗り切りました。
結局このまま僕が公演当日のPAもやることになり、なんだかんだで団員の皆さんとも仲良くさせてもらいました。
割とこのときのメンツが最強で、
- 今では劇団四季にいるやつ
- 今では声優として大手のゲームとかでも声あててる奴
- 僕のTwitterのタイムラインで一番オシャレな写真上げてる奴
- 僕の人生で一番話が合う(というか面白い)奴
- ヤバい破壊衝動を隠し持ってる奴
とかもうすごくて、打ち上げのときにこのときの代表に
「来年もお願いしますよ!」
とか言われたので勢いでOKしたけど、そいつ翌年参加してねぇの!!
ふざけやがってwwww
PA出来ない……
実はですね、僕PAそんなに出来ないんすよww
舞台音響とかちょこちょこやったことあるとは言え、
その場にある機材を適当につないで音が出たからOKみたいなそんなノリでどうにか乗り切ってたので。
なので、実は僕が今少しPA出来るのって、劇団輪座さんのおかげなんですよね。
もちろん学生さんの誰かが出来るわけでもなかったので僕が出来る顔して必死に勉強して会場で試してたんだけど、
ミキサーの使い方、
アンプとスピーカーの関係性、
マルチボックスという存在、
その他PA業界の”当たり前”をここで勉強することが出来ました。
いや〜ホントありがたいっす、スピーカー飛ばさないでよかったwww
その後の関わり
この劇団さん、2019年現在第12期ってことになり、まぁよくもここまで続いたなぁと感心していますww
そんな中で、最初は録音のディレクションとPAだけだったけど、翌年からは楽曲制作も任せていただき、今では劇団輪座について一番知ってる人になっちゃいましたww
学生演劇サークルの難しいところは、長くて4年しかいない(はず!!)の大学生なので、
移り変わりが激しく、同じ人が3年もいるってことが珍しく、
引き継ぎも十分でなければ常に経験の浅い子達で回していくというところ。
なので毎年まぁ〜大変よ!
そのぶんこちらも色々勉強になったのだけれどね。
ちょっとずつ思い出を語っておきます。
第1期公演
これは知らないので割愛します。
が、実はこのときの作曲は僕の大学のまた別の同期(今では映画やドラマの劇伴やってる売れっ子)だったようです。
第2期公演
ここから録音とPAで入りました。
舞台稽古のときに学生さんたちの熱がすごさを見て、自分もなにかしてあげたいなと思って数曲BGMやカーテンコールを書き下ろしました。
第3期公演
この年からPAに加え楽曲制作とプレスコに加え、その曲の歌い方を伝えるためにちょっとだけ稽古に行くようになりました。
2期が結構人数も厚かったのに対して一気に減ってしまったので割と大変で、
「あ、今年でこの団体終わるな」と思いましたw
このあたりからアイツはどうだのコイツがどうだのというみなさんの愚痴を聞くという仕事も追加されましたw
第4期公演
割とこのあたりがターニングポイントで、去年に比べて人数も多く、色々アクティブな奴らが入って来たので大変でした。
歌唱曲とBGMと合わせて25曲くらい作った気がする。
しかも毎年年末にやってた公演が、会場が取れなかったため年始にずれ込み、年越しの瞬間は団員さんとスカイプ通話、
1月2日からは稽古に参加するというどっぷり加減。
曲調はめちゃめちゃロックにしましたが、
これは当時ハマってたRock Musical BLEACHの影響ですねww
第5期公演
去年度に一年生として入ってきた子達が割と多くの今年度も残っていた印象だけど、
まとめられる子がいなくてなんとなくぼんやりとしたまま月日が過ぎるという危なっかしい年でした。
そしてこれは忘れもしない、僕のミス。
自分も音響スタッフとしてリアルタイムにみんなと一緒に公演に携わるわけだから、出来るだけみんなが歌いやすくお客さんも聴きやすくしようと色々機材を増やしていったせいで、
本番中に機材トラブルを起こしてしまいました。
このとき学んだね、
いかに当日は仕事を減らすか。
これが成功の秘訣だと。
以降どんなプロジェクトでも常に念頭に置いてるし、誰かとタッグを組んだりするときも口を酸っぱくして
「これってどんなトラブルが想定されますか?全部今思いつくだけあげて対策も考えておきましょう。で、そこまでしてでもこれはやる価値がありますか?」
とか言ってます。
ちなみにこの年は劇団四季Wickedにハマってて名古屋までわざわざ観に行っちゃうくらいだったので、
曲調にちょいちょいWicked感が見え隠れしてますw
第6期公演
かの有名なターザンの脚本を自分たちの団体用に書き換えるという面白い試みでした。
ジャングルが舞台なので民族パーカッションと深いリバーブの曲が多く、
たしか僕の制作した楽曲で人生初めて100トラックを超えたのがこのミュージカルの1曲目。(今ではザラにあります)
この頃になると大分劇団側と萩原悠との信頼関係もあり、割と演出とかにも口出してました。(さーせん)
今作あたりから”全曲最初になんとなく頭の中で作ってから各曲を仕上げていく“という自分なりの方式が確立して、
おかげでリプライズとかメロディの伏線も作りやすくなりました。
第7期公演
このときは”明日のナージャ“というアニメ作品の脚本を使うということになって、ちょっと震えました。
何故なら本家”明日のナージャ”のBGMを担当していたのは僕が大学でお世話になっていた奥慶一先生だったから。
奥先生が作った作品を自分の曲で置き換えるのか……震えるぜ。
もちろんアニメは観たことがなかったので、観たら影響される、そのまま観ずに制作しました。
この年は僕が台湾に行くことが決まっていたので、
劇団さんには稽古の動画を送ってもらって、それを観ながら曲を作って送るという遠隔スタイルで、
当日PAは当然出来ないので学生さんに託しました。
第8期公演
僕が台湾にいたため関わらず。
というか毎年幹部、楽曲をどこから調達するかを決定する人たちが変わるので、
一度こうして離れてしまえもう今後は関わりはないでしょう。
実はそのつもりで7期の仕事をしていたということもあります。
第9期公演
呼んでいただきましたww
このときの幹部の一人が過去の公演の映像を観て僕の曲を気に入ってくれたそうで、楽曲制作と歌唱指導だけがっつり行ってPAはお任せ。
かの有名なCHORUS LINEをモチーフに脚本を作ったため、割と全体を通してショーケース的な進行になってました。
曲はそんなに派手にはせず、オケピ(オーケストラピット。ステージ下で生演奏楽団がいるスペース)で演奏出来そうな感じをイメージして作りました。
むしろ今までが逆に映画っぽい音源にしすぎていた気がする。
かと言って本当にオケピがあるわけではないし、見栄え聴き栄えを重視するならドーンてしてた方がいいだろうし……
正解はどっちなんだろうと悩みながらの制作でした。
パート数少ないの難しい!
第10期公演
10年ですよww
すごいね。
この公演は作中の”現実と非現実の境目”を音楽でどう表現するかに挑戦していて、
使ってる楽器編成やらアタックタイムやらリバーブ感やらでうまく具現化出来たので割と満足。
第11期公演
条件が合わずに不参加。
第12期公演
これが2019年のことで、なんと今年も担当させて頂くことになりました。
頑張っていきましょう。
僕の一番長いクライアント様です
そんな感じで、僕のこれまでの音楽家人生の中で、
一番長い間ご依頼くださっているのがこの学生さんたちです。
仕事をすることってそのまま自分の成長にも繋がるので、
彼らが毎年のように声かけてくださるからこそ今の萩原悠があるって感じです。
それに、”共に作品を作り上げる”という工程の中で結構仲良くなれたんじゃないかなと思ってる奴らもいて、
それがとても嬉しい。
感謝感謝。
あいつらの後輩に今年も頼まれたので、今年も頑張ろう。
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