– これまでのあらすじ –
専門学校でギターを学び、
音大で作曲や録音、DTMを学び、
一通りの楽器の仕組みと使い方も覚えてそれなりに使いこなせるようになってきたところで、
一番苦手な楽器がありました。
それが 歌。
しかし、何故か歌いたくなったのです。
歌は苦手
専門学校ではボーカル専攻の奴らがいて、
そこそこ上手い人もチラホラいました。
(大してうまくない奴は最初の一年間の間に消えていきました。)
音大に入っても、周りにはサラッと歌が歌える人がたくさんいました。
それに対して自分はやっぱり歌が下手だなぁ。
でも自分は歌わなくてもいいや、歌いたいと思わないや。
だから時間を割いて歌を練習したいとかはなかったし、それでいいやという諦めみたいな気持ちがありました。
自分の声も好きじゃないしね。
SAY YOUR DREAM
ところで、僕の音楽人生はGLAYから始まったようなものと書いたことがありますが、
これくらいの頃になると、”自分の音楽性”みたいのが欲しくて、
色んな音楽を聴いて楽しめるようになったってのもあるけど、あえてGLAYを封印していました。
なので2007年くらいからのGLAYはシングルを追ってもいなかったのです。
そんなあるとき、何故かYouTubeの”あなたへのオススメ”に出て来たGLAYの楽曲があって、なんとなく再生してみたのです。
それがこの曲、SAY YOUR DREAM。
シングル曲のMVが16分ってどゆこと?
実際楽曲が13分ありました。
MV自体もアメリカアカデミー賞公認の<ショートショート フィルムフェスティバル>の音楽部門の優秀賞を取っちゃったりした神映像ですが、
そんな映像も相まってなんかすごい感動しちゃって。
ひとりでiMac27inchの画面見ながらすごい泣いて、
で、何故か呟いたんですよね。
「歌いたい」
バンドを結成
なんでだかわからないし馬鹿馬鹿しいエピソードだとも思うんだけど、
なんだか無性に歌いたくなって、バンドを組むことにしました。
メンバーは色んな巡り合わせがあって、
大学で色々一緒にやってくれてるSGM氏がベースを、
この10年くらい前、僕の始めて組んだバンド(METAL ZONE!恥ずかしい名前!)でドラムを叩いてた奴(→当時の話はこちら)、
そしてギターにはなんと僕の従兄弟を。
そんで僕がギターボーカルをするという。
“名前フェチ”で意味を求めすぎる僕にしては珍しく、意味のあるバンド名が嫌だったので、
その日のミーティング中に話にあがった二人の指揮者、
レナード・バーンスタインとヘルベルト・フォン・カラヤンの名前を取ってこんな名前にしました。
だっせだっせ!
今思うとだっせ!
いや、当時もダサいと思ってつけてたからいいんです。
しかもこのしょうもない新聞コラージュね。
なにに使ったんだろう、バンドのロゴかな?
コンビニで新聞を複数買って来て立川南口のモスバーガーで切り貼りしました。
ライブをする
何曲かを自分が歌うために書き下ろし、
同人音楽サークル用に書いた曲もリアレンジし、
ライブをするに至りました。
2011年始くらいから準備してきたこのバンド、
ライブが3月後半だったので震災ショックで僕がやる気を失くしたタイミングもありましたが、
どうにかやりきりました。
やっぱり歌はうまくなかったし、
人様からお金を頂いて演奏するようなものではなかったのかもしれないけれど、
なんだかすごくやりきった気持ちになりました。
実際ただの自己満足だとわかっていたので、
これ以降このバンドが活動することはありませんでしたし、
僕が人前で歌うこともしばらくありません。
同じく作曲をやってるベーシストと(今は元気かな?)、
バンド経験が豊富なドラマーと(現在Music Barを経営中)、
ギターにストイックなギタリストと(先日祖母の法事で久々に会いましたw)、
そんな3人に支えてもらって好き勝手なこと歌わせてもらいました。
みんな僕が持ってないセンスとかアイディアを持ってて、
楽しかったのと勉強になったのと。
みんなは覚えててくれてるかなぁ〜。
そんな感じの、バンドのお話でした!