(このブログ、書くのに結構時間かかってしまったのでちょいちょい時間軸がおかしいかも。)

こんにちは萩原悠です。

今日はいつもとちょっと違うこと書きます。

ADHDの友人のお話です。

スポンサーリンク

友人A

先日僕の友人がSNSで衝撃的な告白をしていました。

端折って書くとこんな感じです。

2年くらい続けてるバイト先の同僚に話の流れで

「自分はADHD(注意欠陥・多動性障害)なんだ」
って話をしたら、

その3週間後にバイトをクビになった。

店長にはちょっと理由を濁されたけれど、

その日同僚は目を合わせてくれなかった。

お、おぅぅ……なんか……なんなんでしょうね。

僕もSNSで見ただけだし友人もそんなに詳しく書いてなかったから本当の理由は全くわからんすよ。

2年くらいいたとは言えぶっちゃけその期間の評価とかもわからんじゃない?

でもこれはまたナイスなタイミングですね。

特にわたしからどうとは言わないけれど、皆さんもあまり露骨なことはやめませんか?

まぁなんというか、ちょっとハンデのある方がいてもみんながそんなオープンにするわけじゃないよね、

だってこういうことになるわけだから。だからあまり気付かないってのは多々あると思う。

ただ「この人仕事がちょっとなぁ〜」くらいの、むしろ誰にでもあるような症状だし。

この友人が同僚さんに満を持して打ち明けたのかお酒の勢いでこぼしたのかはわからないけど、

そうそう言いふらしてたとも思えないんだよね。わたしも知らなかったし。

(わたしはそこまで親しくない…ってのも失礼か?なんて言えばいいんだ!)

なので皆さんもそういう人に理解を……って書こうと思ったけど、

それこそ見た目でもわからないしどういう風にみんなと違うかもあまり知られてないか。

てことで、あちこちからちょっとコピペしまして、その実態をご説明しましょ。

ADHDとは

まずは安定のwikipediaさんから。

注意欠陥・多動性障害は多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴とする発達障害の一つと言われているが、じっとしている等の社会的ルールが増加する、小学校入学前後に発見される場合が多い。

注意力を維持しにくい、時間感覚がずれている、様々な情報をまとめることが苦手などの特徴がある。
日常生活に大きな支障をもたらすが適切な治療と環境を整えることによって症状を緩和することも可能である。
脳障害の側面が強いとされ、しつけや本人の努力だけで症状などに対処するのは困難であることが多い。

注意欠陥多動性障害はその原因に関連して、関連障害として特異的発達障害(学習障害)や、軽症アスペルガー障害との合併を示すことがある。
またその特性上周囲からのネガティブな打撃を受けやすく、二次的に情緒障害を引き起こす傾向があり、行為障害、反抗挑戦性障害、不登校やひきこもりを招きやすい。

集中困難・過活動・不注意などの症状が通常12歳までに確認されるが、過活動が顕著でない不注意優勢型の場合、幼少期には周囲が気付かない場合も多い。

年齢が上がるにつれて見かけ上の「多動(落ち着きがなくイライラしているように見える)」は減少するため、かつては子供だけの症状であり、成人になるにしたがって改善されると考えられていたが、近年は大人になっても残る可能性があると理解されている。

その場合は多動ではなく、感情的な衝動性(言動に安定性がない、順序立てた考えよりも感情が先行しがち、論理が飛躍した短絡的な結論に至りやすい)や注意力(シャツをズボンから出し忘れる、ファスナーを締め忘れるといったミスが日常生活で頻発する、など)や集中力の欠如が多い。
症状は育て方や本人の努力で完治することはないとも言われている。
近年では成人にADHDを認めるべきと考えられている。

2015年の現在はまだ治療方法は確立されていないが、衝動的な行動を抑制する薬剤の処方によって生活の改善を図っている。

やがてADHDの遺伝子診断が行なわれて、適切な薬で根治する日が近いと考えられている。

長ぇ長ぇw

次にYouTube、とても評価の高いものがあったのでこれまた貼り付けです。

あとは、リンク貼っておきます、結構アホな感じに描いてあるので読みやすいよ!

マンガで分かる心療内科・精神科in池袋「ADHD編」
読み物として普通に面白い。

……あれ、「ちょろっとだけ」と言いながらコピペで楽だからってそれなりのボリュームですな。

しかしここまでを読み返したらなんか“NAVERまとめの劣化版”みたいでわざわざブログに書いた意味があまり伝わらなそうだったので、もう少し話を続けます。

友人Bの話

実はもう1人、これは以前から知ってたんだけどADHDつまり注意欠陥・多動性障害の友人がいます。

便宜上 友人Bと名付けますね。

今回は協力してもらうことになりました。

友人Bも自分がADHDだってほとんど話したことがないらしいけど、

冒頭に書いた僕の友人A(←まぁこうなりますよねw)のこともあってブログに書きたいと言ったら許可をもらえました。

(ちなみに友人Aにもここまで書いたのを見せて、匿名ならば是非掲載してほしいと言ってくれました。)

以下、匿名性を出す為に 友人Bの話を萩原悠が一人称形式で書きます。

友人Bの人物像を隠す目的と、萩原悠との関係性とかもわからないように。

(いちいち「その人は……」という書き方をしてたらめっちゃ読みにくなかったという理由もあります。)

ADHDだと自覚したのは20歳を過ぎてから。

ある日インターネットで見つけて

「あ、自分はこれだったんだ…」

と気付きました。

自覚することによって

「悩んでるのは自分だけじゃなかったんだ」

とホッとする人も多いですが、

自分は

「まさかそういう障害だったなんて…つまりちょっとやそっとの努力じゃみんなのようになれないんだ。

と愕然としました。

そして

「自分は障がい者なんだ」


と思ったときに、過去に出逢った少し不自由のある人たちの顔を思い出して、

「彼らと同じなんだ」

と思ってしまい、自分は今まで人を見下してたんだと気付いてしまったことにショックを受けました。

そこにショックを受けているはずなのに、

今まで自分も周りからそういう風に見られていたんだということの方がショックで、

そしてそのことにもまた自己嫌悪が湧いて来るスパイラルに陥りました。

たしかに、学生の頃は変な奴だと言われよくいじめられてましたっけ。

病院での診察

思い切って病院も調べて診察を受けに行ったけれど、

特になにか数字で表れることはないため問診のみ。

症状悩み方からして恐らくADHDでしょう」

とのこと。

も奨められましたが、

・根本的な治療にはならない
・保険が適用されない
・”薬を飲まなければいけない人”になるのが嫌だった

などの理由から断りました。

ちなみに、実は子供のとき脳波を取るために何度か病院に行った覚えがありますが、

あれがなんのためだったのか、

当時はわかりませんでしたし、今でもわかりません。

症状

昔から勉強が出来なくはなかったけどとにかく不注意が多いことは自分でも気になっていて、

忘れ物の多さと時間の守れなさが自分のだらしなさとして自覚していて、正さなければと思っていました。

恥ずかしながら昔から怒りっぽく、衝動的に物にあたったり人にあたったり自傷したりします。

また、周りからの情報が多過ぎて自分がついていけなくなると、パニックになります。

それと、とんでもなく忘れ物が多く、絶対忘れ物してるだろうなっていう意識が常にあるけれど、それでも忘れ物をします。

忘れ物をしてるだろうという意識がむしろパニックを引き起こして冷静に考えられなくなるということもしばしば。

しかも恐いのは忘れ物“なのか”落とし物“なのか確信が持てないということです。

[絶対カバンに入れていない]という自信もないことから、

途中で落としたのではないかと家に帰るまで不安で不安で仕方がありません。

なんせ普段からカバンを閉め忘れる日々ですから。

不注意から来る忘れ物だから当然忘れるのは「物」だけでなく「こと」もそうで、

自分が覚えてなくてもいいようにto doをクラウド上に事細かにアップして通知を受け取っています。

そのためネットが繫がらない、携帯の電池が切れる、これは本当に恐怖です。

脳みそが溶けて口から出そうになるイメージです。

また、”集中が困難“というのがよく言われる症状ですが、
自分は逆も持っていて、

1つのことに集中して周りが目に入らなくなるということがよくあります。

何故いつも他の人のことに気を配れないんだろうと反省するのですが、

反省がなかなか次に活かせません。

それだけ自分のデキの悪さを認識しているため、人付き合いがとても苦手です。

優しい人、いい人と接すればそれだけ迷惑をかけてしまうのが恐い。

そしてそう思うことがまたパニックを引き起こしてしまうし、それを見られたくないのです。

きっと誰とも結婚なんて出来ないと思うし、片付けられないし物も失くすし時間も守れないので家族に対しても申し訳なさすぎて顔をあわせるのが辛いです。

誰にでもあるような症状

健常な方でも多かれ少なかれ誰にでもあることだと思います。

ただだらしないだけ、そう言われたら反論が出来ません。

線引きが曖昧な故に世間ではなかなか認知されていません。

線引きが曖昧なのにも関わらず、レッテルが貼られた時点で今回の友人さんのようなことが起きてしまうんですね。

そして、優しい人に相談すると

「自分も結構ウッカリすることありますよ!」

と笑い飛ばしてくれます。

それがまた辛いです。

この辛さがなにによるものなのかは自分でもわかりません。

ADHDであるという言い訳

これはまた厄介な話です。

自分の不完全さを全てこの「ADHDだから」と済ませてしまいそうな自分がいます。

人の気持ちを考えられないのが、

時間を守れないのが、

仕事が出来ないのが、

その全てが

「ADHDなので個人の努力ではどうにもなりません。だからその点は努力しないので周りが気を遣ってください」

と言っているような気がして、自分のクズさに嫌気がさします。

そんな自分だから、自分自身や自分の決断にはいつも不安で、

人前で自分の意見を言うのが苦手(自分なんかの考えを人様に伝えるのも、その時間ももったいない)、

褒めてもらうのも苦手(自分なんかに秀でてるところなんてあるのだろうか)、

人の輪に入っていけない(自分がいない方がその場は楽しいはず)、

プレゼントをあげたい人にもプレゼントが選べない(自分の選択はきっと間違っている)、

でも嫌われるのはもっと怖い。

どんなに人に迷惑をかけて振り回しても、嫌われて離れていかれるのは怖いんです。

そのためにいつも怯えながら暮らしているし、人にも自分にも嘘をつきながら生きています。

最後に

自分の不安定さが本当に嫌になりますが、

嫌と言っても生きなければいけません。

こんな自分は社会の中でどうやって働いて、生きていけばいいんだろう。

しかしとても幸いなことに、自分は好きなことを仕事にすることが出来ました。

これからも順風満帆とはいきませんがそれはみな同じです。

それよりも、こんな私の周りにいてくれる人はもっと大変です。

家族にも、友人にも、本当に感謝しています。

この度萩原悠氏の個人ブログを借りて綴らせてもらいました。

私は自分が周りの人にもっと優しくしてほしいというわけではありません。

このページの始めに書いてあるようなことが

これから少しずつ減っていけばと思い、

インターネット上に私たちについての情報が増えることに賛同しこの場を借りました。

これは私の我が儘ですが、

もしこれを読んでくれた方で友人B、私が誰か特定出来た人がいととしても、どうか今までと態度を変えないで頂けたら嬉しいです。

しかしもし他の誰かがこの症状で苦しんでいたら、少し理解してあげてください。

あまり急かさない、口頭だけでなく書いて伝える、これだけでも大分助かりますので。

以上です。

うぃっす、終わりです。

ここからまた萩原悠です。

もう僕があれこれ書くような空気でもないので、これで終わろうと思います。

読んでくれてありがとう、……ってなんかもしかして気持ち的に今一番落ちてるのは俺か?

まぁヘラヘラするのはいつでも出来るので、また今度にとっておきます。

それでは〜!